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前橋地方裁判所 昭和51年(ワ)241号 判決 1977年11月24日

原告

内海克己

右訴訟代理人弁護士

飯野春正

(ほか四名)

被告

株式会社ナカヨ通信機

右代表者代表取締役

横堀禎二

右訴訟代理人弁護士

吉永満夫

(ほか二名)

主文

一  原告が被告に対し雇用契約上の権利を有することを確認する。

二  被告は原告に対し、金二〇九万五、四五四円及びこれに対する昭和五一年九月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

三  被告は原告に対し、昭和五一年八月から毎月二七日限り一か月につき金九万五、二六一円の割合による金員の支払いをせよ。

四  原告のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は被告の負担とする。

六  この判決は、主文第二、第三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告に対し雇用契約上の権利を有することを確認する。

2  被告は原告に対し、金二一二万三、五二四円及びこれに対する昭和五一年九月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

3  被告は原告に対し、昭和五一年八月から毎月二七日限り一か月につき金九万五、七七二円の割合による金員の支払をせよ。

4  第二、三項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求はいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被告は、通信機器の製造、販売、通信施設の工事、保守等を業務内容とする従業員数約七〇〇名の株式会社である。

原告は、昭和四一年三月前橋市立第一中学校を卒業し、同月二三日被告会社に入社し、同社前橋工場の製造部に配属され、勤務のかたわら前橋工業高校定時制に通学していたが、昭和四五年三月同校を卒業し、前橋工場内の変電施設の保守、点検、管理の作業に従事し、昭和四九年一〇月から再び製造部に配属され、電話交換機のリレーの接点の熔接作業に従事していた。

2  原告に対する転勤命令

(一) 原告は、昭和五〇年二月五日、被告会社から札幌営業所勤務を命じられたが、突然のことであり、右転勤命令(以下、本件転勤命令という。)に応諾するか否かの返答を保留した。

(二) 原告の家庭の事情

原告は、前橋市紅雲町一丁目四番八号に、父荘司(明治四〇年一〇月四日生)と母好江(大正五年一〇月三〇日生)と同居しているが、父はヤマハ群馬株式会社に夜警として勤務し、母は高血圧症で常に看護を要するため、原告と父が昼夜交替で母の看護をしており、原告が札幌へ転勤すると、父は勤務をやめて母の看護をしなければならず、父母の生活は成り立たなくなる。

(三) 札幌営業所が別会社になることの危惧

被告会社は、営業所を新設すると、半年ないし一年で、これを別会社として独立させ、営業所勤務の従業員をすべて新会社へ属させるのが例であり、これまでにも、熊本、名古屋、大阪の各営業所を別会社として独立させている。そのため、被告会社の従業員の間では、札幌営業所もいずれ別会社となるのではないかとの見方があり、原告もそのように考え、札幌営業所が別会社となった場合、再び前橋へ復帰できる望みがなくなるばかりか、経営規模も小さく従業員数の少ない新会社では、労働組合もなく、賃金等の労働条件が低下するのではないかとの危惧を抱いていた。

(四) 右のような家庭の事情と、別会社になることの危惧があったので、原告は、同年二月中に被告会社と数回話し合いを行ない、本件転勤命令には応じられないので再考してほしい旨申し入れ、さらに、どうしても札幌営業所へ転勤しなければならないのであれば、次の事項を満たしてほしいと申し入れた。

(イ) 転勤後、前橋へ戻れる時期を明確にすること。

(ロ) 転勤後、両親を扶養できる給与を保障すること。

(ハ) 札幌営業所が別会社となっても、被告会社の従業員としての地位を保障し、一定期間経過後前橋に帰えすこと。

以上の申し入れに対し、被告会社は、本件転勤命令を撤回することはできないと答え、右(イ)、(ハ)については明確にできない、(ロ)については原告だけを特別扱いにすることはできないと答えた。

3  原告に対する解雇

被告会社は、同月二二日、転勤命令に従わず現職場に留まった原告の行為は、就業規則一二八条一一号に該当するとして、原告を解雇する旨の意思表示(以下、本件解雇という。)をした。

4  本件解雇は次に述べる通り人事権の濫用であって無効である。

(一) 本件転勤命令は、その結果において原告の生活関係を根底から覆えすものであり、その行使の過程においても原告の同意を得ることなく、原告の希望、疑念に対して明確な解答をすることなく発令されたものであるから、労使間の信義則に照らし権利の濫用となり無効である。従って、本件転勤命令違反を理由とする本件解雇もまた無効である。

(二) 仮に本件転勤命令が無効でないとしても、原告には、前記2の(二)ないし(四)記載のとおり、本件転勤命令を拒む正当な理由が存したのであるから、本件解雇はその根拠を欠くものであり、権利の濫用であって無効である。

5  賃金

(一) 原告は、被告会社から、前月二一日から当月一〇日までの勤務期間の賃金を当月二七日に受領していたが、昭和四九年八月分から昭和五〇年二月分までの平均月額は、七万七、六八三円である。

(二) 被告会社は、同社従業員で構成するナカヨ通信機労働組合(以下、組合という。)と毎年協定を結び、四月にはベースアップをしているほか、六月と一二月には一時金の支払をしており、右協定は非労働組合員に対しても適用されている。昭和五〇年四月以降の協定の内容は次のとおりである。

昭和五〇年四月 ベースアップ 平均金九、七〇〇円

七月 夏期一時金 二・一五か月分加減〇・二か月分

一二月 冬期一時金 二・五か月分加減〇・二か月分

昭和五一年四月 ベースアップ 九・六パーセント+家族手当

七月 夏期一時金 二・一七か月分加減〇・二か月分

なお、右一時金の加減(プラス、マイナス)〇・二か月分は被告会社が行うことのできる査定の範囲を示している。

(三) 前述のとおり、本件解雇は無効であり、原告は右協定の適用を受ける地位にある。また被告会社は、原告が一貫して労務の提供を申し出ているにもかかわらず、その受領を拒み、昭和五〇年三月分以降の賃金を支払わない。従って、被告会社は、労務の質を評価して行なう一時金の査定(その範囲は前記のとおり加減〇・二か月分)を原告に行なうことは許されず、従って、昭和五〇年三月から昭和五一年七月まで原告が支払いを受けるべき賃金及び一時金は合計金二一二万三、五二四円となる。なお、計算方法は、被告の主張を認める。

6  よって、原告は被告会社に対し、雇用契約に基づき、右契約上の権利の確認並びに未払賃金二一二万三、五二四円及びこれに対する訴状送達の日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金及び昭和五一年八月からの毎月二七日限りの賃金一か月につき九万五、七七二円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2のうち(一)は認める。(二)は原告が父母と同居し父がヤマハ群馬株式会社に勤務し母の血圧が多少高いことは認め、その余は否認する。(三)は被告会社がこれまでに熊本、広島、大阪の各営業所を統合して関西ナカヨ電設株式会社として独立させたことは認めるが、その余は否認する。(四)は原告が別会社になることの危惧を転勤拒否の理由としたこと及び原告が札幌営業所へ転勤しなければならないのであれば満たしてほしいとの申し入れに(ハ)の事項があったことを否認し、その余は認める。

3  同3は認める。但し、組合の懇請により通常解雇とした。

4  同4は争う。

5  同5のうち(一)、(二)は認める。(三)の計算方法は争う。正しい計算方法は、次のとおりである。

(一) ベースアップ、一時金の基準となる金額は基本給である。また、ベースアップは、平均アップ額によるべきではなく、基本給に対する平均アップ率によるべきである。

(二) 右を原告に適用すると、次のとおりとなる。

昭和五〇年四月のベースアップ(アップ率一一・八九パーセント)による原告の基本給 金八万四、四七六円

75,500円(基本給)×(1+0.1189)=84,476円

昭和四九年八月から昭和五〇年二月迄の原告に支給された基本給総額中の諸手当の割合 二・八九パーセント

<省略>

昭和五〇年四月分から昭和五一年三月分までの賃金 金八万六、九一七円

84,476円(基本給)+84,476円×0.0289(諸手当)=86,917円

昭和五一年四月分以降の賃金(アップ率九・六パーセント) 金九万五、二六一円

84,476円×(1+0.096)×(1+0.0289)=95,261円

一時金(出勤率を一〇〇パーセントとする。)

昭和五〇年七月分 金一八万一、六二三円

84,476円×2.15ケ月=181,623円

昭和五〇年一二月分 金二一万一、一九〇円

84,476円×2.5ケ月=211,190円

昭和五一年七月分 金二〇万〇、九一〇円

84,476円×(1+0.096)×2.17ケ月=200,910円

三  被告の主張

1  本件転勤命令を発令するに至る経過

(一) 被告会社は、その製造する通信機器のうち約七割を日本電信電話公社に販売し、約三割を民間会社に販売している。

(二) 被告会社の営業所は、いずれも民間会社への販売及びアフターケアを目的として設置されたもので、被告会社は昨今の不況を克服するため、民間需要の開拓と販路拡大の必要上、営業部門に多大の期待をかけている。

(三) かつては、営業担当者の大多数が非技術系出身者であったが、顧客に対して機器の機能、取り扱い、整備等について説明を行なうためには、機器について相当の知識を有していなければならず、そのため、現在営業部員の大多数は技術系出身者で占められている。

(四) 被告会社は、昭和四九年八月ころ、翌年一月に営業部員二名からなる札幌営業所を設けることを決定し、直ちにその準備のために営業部員一名を現地に派遣する一方、同年一二月下旬に次の基準で残る一名の人選に入った。

(イ) 年令二〇歳ないし三〇歳の男子

(ロ) 勤務経歴五年以上の者

(ハ) 設計部門、製造部門の経験者

(ニ) 通信、電気等の工事ができる者

(五) 被告会社の技術系社員の大多数は、前橋工場へ勤務しているため、被告会社は適任者を前橋工場勤務の社員の中から選考することとし、前記の基準に合致する原告を含む約一〇名を候補者として選考したが、被告会社の事前調査によれば右候補者はいずれも家庭の事情により難点があり、原告も母親の血圧が高く家庭にやや難点があった。しかし、被告会社は、次のような事情を考慮し、原告が最適任であると判断し、原告を札幌営業所勤務者として決定した。

(イ) 原告の母は血圧が高いといっても、常時付き添って看護する程度の病状ではないこと。

(ロ) 原告には兄二人、姉二人があり、原告が両親の面倒を一手に引き受ける必要がないこと。

(ハ) 原告は、勤務態度がきわめて真面目であり、ここ一、二年の勤務評価はやや落ちていたが、環境を変えることにより、将来大いに期待できると判断されたこと。

2  本件転勤命令から本件解雇に至る経緯

(一) 被告会社は、原告に対して昭和五〇年二月五日に本件転勤命令を発令し、同日、同月七日、一二日、一三日、一四日、一七日、一九日、二〇日の計七回原告と話し合いの機会をもった。

(二) 右の話し合いを通じて原告が主張した転勤拒否の理由は、請求原因2の(二)記載の家庭の事情であった。一方、被告会社は原告に対し、本件転勤命令の必要性及び本件転勤が原告にとってその力量を伸ばす良い機会であること、原告の主張する家庭の事情は他の者に比べ特殊事情といえないことを説明し、群馬県利根郡新治村猿ケ京在住の兄に母親の面倒を見てもらってはどうかと提案し、その説得に当った。この間被告会社は原告の父とも面談し、説明したところ、同人は、原告を説得のうえ、転勤させるよう努力したいと語り、また同月一九日の被告会社と原告との話し合いに同席したナカヨ通信機労働組合の坂巻執行委員長は、原告の主張する転勤拒否の理由では、労働協約三〇条六項所定の異議申立の正当な理由とならず、組合として取り上げることはできないと語った。

(三) 以上の経過からみて、被告会社は、原告の本件転勤命令拒否は、原告のわがまま以外の何ものでもなく、労働協約四三条一一項の懲戒解雇事由に該当すると判断したが、組合からの懇請があったため、同協約四六条四項により、同月二二日原告を通常解雇した。

3  札幌営業所が別会社になるのではないかとの主張について

(一) 被告会社は、過去営業部門又は営業所を独立させて、関東、関西にそれぞれ別会社を設立しているが、いずれも被告会社の系列下にあり、その目的は、営業部門を独立採算制にして営業上の損益を明確にするためである。

(二) 被告会社は札幌営業所を将来独立させて別会社とする計画は全くないが、仮に、札幌営業所が独立して別会社になることがあるとしても、別会社への移籍には原告の同意が必要であり、強制的に移籍させられることはなく、また移籍後の復帰もありうる。

(三) 労働条件に関しても、過去独立した別会社を例にとっても、被告会社の労働条件と全く同一であり、低下することはありえない。

(四) 原告は被告に対し、営業という仕事に対する不安を述べたことはあるが、新しい仕事に対する不安は常につきまとうことで、転勤後営業に不向きであることが判明すれば、製造部門に復帰させることがあり得る。

4  以上のとおり、本件転勤命令は、その行使の過程においても、その結果においても、全く適法であり、原告には転勤を拒否する正当な理由はないので本件解雇もまた適法である。

5  仮に、原告に本件転勤命令を拒否する正当な理由が認められるとしても、原告が本件解雇の無効を主張することは信義則上、または禁反言の法理に照し許されない。

(一) 原告が本件転勤命令を拒否するためには、転勤できる可能性について真剣に検討し、できない場合にはその理由を、充分に被告会社に説明する義務があったが、原告はその努力を全く怠っていた。

(二) そのため、被告会社は、原告との交渉の経過等から原告には正当な理由はないものと確信し、原告を解雇したのである。被告をして右の確信を懐かせしめたのは、専ら原告の責任であるから、本件解雇後に正当理由を主張するのは、信義則上または禁反言の法理に照らし許されない。

四  被告の主張に対する原告の認否

1  主張1の(一)は認める。(二)は不知。(三)は現在の営業部員の大多数が技術系出身者である点は認めるが、その余は不知。(四)は被告会社が札幌営業所設置を決定したとの点は認めるが、その余は不知。(五)は(イ)の母親が高血圧であること、(ロ)の兄二人、姉二人があること、(ハ)の原告の勤務態度が真面目であることは認め、被告会社が事前調査したとの点は否認し、その余は不知。

2  同2の(一)は認める。(二)は父が原告を説得のうえ転勤させるよう努力すると語ったとの点、坂巻委員長が原告の転勤拒否の理由では組合として取上げることはできないと語ったとの点はいずれも否認し、その余は認める。(三)は組合の要請により被告会社が原告に対し、通常解雇を申し渡した点を認め、その余は争う。

3  同3の(一)は認める。(二)ないし(四)は争う。

4  同4は争う。

5  同5は争う。

第三証拠(略)

理由

一  当事者

被告会社は、通信機器の製造、販売、通信施設の工事、保守等を業務内容とする従業員数約七〇〇名の株式会社であり、原告は、昭和四一年三月前橋市立第一中学校を卒業後、同月二三日被告会社に入社し、同社前橋工場の製造部に配属され、勤務のかたわら前橋工業高校定時制に通学していたが、昭和四五年三月同校を卒業し、前橋工場内の変電施設の保守、点検、管理の作業に従事し、昭和四九年一〇月から再び製造部に配属され、電話交換機のリレーの接点の熔接作業に従事していた。以上の事実は当事者間に争いがない。

二  原告に対する転勤命令

原告は、昭和五〇年二月五日、被告会社から札幌営業所勤務を命じられたが、突然のことであり本件転勤命令に応諾するか否かの返答を保留し、以後原告は被告会社と同月中に数回の話し合いを行ない、原告は家庭の事情があって本件転勤命令には応じられないので再考してほしい旨申し入れ、被告会社は本件転勤命令を撤回することはできないと答えた。以上の事実は当事者間に争いがない。

三  原告の家庭の事情

(証拠略)を総合すると次の事実が認められ、(証拠略)中、この認定に反する部分は措信できず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

原告はヤマハ群馬株式会社に夜警として勤務している父(当時六七歳)と、高血圧症の母(当時五八歳)と同居しており、昼は父が、夜は原告が母の面倒をみている。原告の母の血圧は、高い時には二〇〇を越えることもあり、治療を要する程度にあり、通院により投薬を受けている。また同人は物忘れがひどく、風呂の火や炊事の火をつけ放しにしてしまうことがあり、原告及び父は、同人がいつ倒れるかという心配ばかりか、火の始末等の心配もしていた。そして、本件転勤命令発令後のことではあるが、同人は、昭和五〇年六月二六日に前橋市の神田医院において、高血圧症と糖尿病の治療中であり、脳動脈硬化が疑われるため予後は楽観できないと診断されていたところ、昭和五一年一一月一二日に済生会前橋病院において、昭和四九年より左半身不随を生じており、入院精査のうえ治療を要すると診断され、そのころ約三か月に亘って入院加療を受けた。さらに同年一一月一三日には前橋市の高野医院において、高血圧症、糖尿病のほか、脳梗塞が認められ、左半身不全麻痺、軽度痴呆状態にあって、脳機能低下があると診断された。このような爾後の経過をみても、本件転勤命令当時、同人の病状は相当程度進行しており、原告及び父親の前記の危惧は、杞憂ではなかったことが認められる。ところで、原告には兄二人、姉二人があり、長兄は群馬県利根郡新治村猿ケ京で調理士をしており、次兄は東京で照明機具関係の会社に勤務し、姉二人はそれぞれ群馬県内に嫁いでいる。次兄は勤務先の独身寮に住み、未だ父母に仕送りができるほどの余裕はない。姉二人もまた母を時折見舞うことができる程度で、母を引取るほどの余裕はない。長兄はいずれは父母を引取り扶養することを考えているが、小学校三年生を頭に三人の子供がいて経済的余裕はない。また、長兄の家の近くには医者がなく母が倒れた場合は勿論、通院するにもきわめて不便な環境にあり、長兄の妻が日中パートに出ているため日中は母の看護をする者がいなくなり、長兄宅の近隣の家も比較的遠く、冬には積雪もありバス停までは坂道になっているという厳しい環境にある。なお、原告は毎月約八万円の給料の中から約三万円を父母の生活費として支出し、父は勤務先からの給料と、機識りの内職で毎月約五万円の収入を得ている。

四  本件転勤命令の業務上の必要性

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

被告会社の製品の約七割は日本電信電話公社に、約三割は通信機メーカーに販売されているが、右三割のうちの半数以上は輸出されており、結局国内の民間通信機メーカーに販売されるのは約一割である。ところで右電々公社による電話の設置は着々と進み、昭和五二年度末で積滞数(申込のあった電話で未設置のもの)はゼロとなる見通しであり、昭和五三年度以降は、電々公社からの新規発注は非常に少くなる予定である。従って、被告会社としても、電々公社への依存率を減らし、民間の需要を開拓しなければならない必要に迫られており、昭和四八年四月には大阪、広島、熊本に営業所(右三営業所は昭和五〇年二月に関西ナカヨ電設という別会社として統合された。)を設置し、昭和四八年八月には東北、北海道方面に営業所を設置することが構想され、同時期には札幌へ営業所開設準備のため駐在員一名を派遣し、昭和四九年一一月に取締役会で札幌営業所開設を決定し、昭和五〇年二月には札幌営業所が開設された。

札幌営業所の構成は、当初二名の予定であり、一名は駐在員として派遣されていた者をこれにあて、残る一名の人選は昭和四九年一二月に東京本社から前橋工場に指示され、その際の人選基準は次のとおりであった。

(イ)  年令二〇歳ないし三〇歳の男子

(ロ)  社歴五年以上

(ハ)  設計部門、製造部門の経験者

(ニ)  通信、電気等の工事のできる者

前橋工場では、昭和五〇年一月初旬から右基準に合致する者の人選作業に入り、原告を含めて約一〇名前後の者を候補者として検討した結果、同月下旬に原告が候補者中最適任であると認めて同人を推せんする旨本社へ通知し、本社ではこれを相当と認めて同年二月三日付で原告に札幌営業所勤務を命ずる辞令書を作成し、そのころ前橋工場に右辞令書を送付した。なお、被告会社の東京本社においては、前橋工場の約六五〇名の従業員の経歴、勤務状態などは適確に把握できず、右従業員の人事管理の資料は前橋工場総務部において管理しているため、本件転勤命令の対象者は実質的には前橋工場における人選作業の過程を経て同工場で決定された。

五  前橋工場における転勤の実態等

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

前橋工場では、昭和四八年に前記大阪等の三営業所が設けられる前は、東京にある本社との間でのみ人事異動があり、それは、幹部職員が大部分で役付以下の従業員の異動は極くまれであったし、三営業所が設けられ技術系従業員も異動の対象となる事態が生じたものの、その数も極く少数であった。そして、同工場には、家庭の事情で居住地を遠く離れて就職することができないことから、地元の同工場を特に選んで就職した者も多く、原告もその一人であった。そのため就業規則の定めにより転勤義務はあるものの、従業員一般に、転勤は不可避でそのために日頃から身辺の整理をしておくというような意識は希薄であり、原告もその例外ではなかった。そして被告会社の前橋工場の側でも、異動が少ないこともあって、転勤についての従業員の希望を定期的に調査しその人選に備える措置をとっていなかった。本件転勤命令を発令する前に、上司の知り得たところから、原告の母親が高血圧で、転勤については家庭に難点があることが判明していた。そして、被告会社の担当者は、母親の病状について調査したのであるが、近所の者からの聴取で、母親は買物程度はできるし、日常の洗濯などもしているとし、病状が重篤でないとの判断をした。もし、被告会社が事前に原告に尋ね、さらに診断書の提出を求めるなどしていれば、前記認定の母親の病状を正確に把握できたものと考えられる。また被告会社の担当者は、原告に尋ねることもしないで同人が五人兄弟の末子であるから転勤に支障はないと判断したのであるが、実際は、原告は末子ではあるものの当時事実上父母を扶養することが期待される立場にあったもので、原告がこのような身辺の支障を整理して、転勤に即応できるようにするには、相当の期間を要するものであった。

六  本件転勤命令後の当事者間の交渉

(証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、(証拠略)中この認定に反する部分は措信できず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

1  昭和五〇年二月五日 原告は服部部長から札幌への転勤命令を言渡されたが、急なことであったので待ってほしいと答え帰宅後この旨父と話し合いをしたものゝ、自分が札幌へ転勤するについては、母の健康状態や父母の生活費等が心配であるが、これを解消する方法を見出すことができなかった。

2  同月七日 原告は服部部長に対し、「札幌営業所に転勤するのはもう少し待ってほしい。母親の血圧が極めて高く、夜間一人で置くことができない。そのうえ、物覚えが悪くなり、コンロに薬罐をかけ放しにして忘れてしまうなど危険で眼が放せない。父親はヤマハ群馬株式会社の夜警をして生活をたてており、昼間は父親が母親の看護をしているが、原告が転勤すれば、夜間母親が一人になり危険で、父親は勤めをやめなければならない。長兄は猿ケ京で旅館の調理士をしているが、現在三人の子があり、家の借金で金銭的に余裕がなく、父母の引取はできない状況にあり、次兄は、東京で勤務独身寮生活でやはり父母を引取ることはできない。」旨説明したところ、服部部長は、原告の述べた右の理由をさほど重大には考えず、原告に対し、兄や姉とも相談してもう一度よく考えるように告げた。

3  同月一二日 原告は同月七日からこの日までの間一度父の勤務先であるヤマハ群馬株式会社に夜間勤務中の父を訪ねて長兄に電話をし、本件転勤命令を受け入れる場合の父母の生活について話し合ったが、長兄の意見は借金の返済が終わるまでは父母を引取ることは難しく、そういう意味では本件転勤命令は時期が良くないので、会社の方に何とかならないものか話してみるようにということであった。そこで原告は、この日も服部部長と話し合いをしたが両者の話し合いは平行線をたどり結論は出なかった。

4  同月一三日 服部部長が原告に対し、札幌勤務を命ずる辞令を交付しようとしたところ、原告は一度はその受領を拒絶したが、そばにいた川口課付に辞令は受け取っておいて労働組合と協議したらどうかと助言され、右辞令を受け取り同日夕方組合を訪れ、坂巻委員長等三役に相談した。その際右坂巻委員長は原告が母が高血圧であって父が夜警をしているため自分が転勤すると母の面倒を見る者がいなくなり、自分の代りに母の面倒を見ることのできる者はいないと述べたのに対し、本件転勤命令を発するにいたった会社側の業務の必要性を原告が本当に理解しているのかどうかを尋ね、原告の主張する転勤拒否の理由では組合として取上げるに不十分であり、できるだけ転勤する方向で検討するようにと、原告を説得したうえ翌一四日に再度話し合おうと告げた。しかし、原告は同委員長から転勤命令に応ずる態度で検討するように言われたことに不満をもち以後組合を訪れたことはない。

5  同月一四日 原告と服部部長の交渉は、この日も平行線をたどった。

6  同月一五日 服部部長の命を受けた川口課付は、原告の父を訪ね、原告の主張する転勤拒否の理由を同人に確かめたところ、父は親としては子供の出世の妨げにはなりたくないが原告の言う理由はそのとおりであると述べ、ただ自分が何よりも心配なのは、原告の日頃の勤務成績が悪いため本件転勤命令が出されたのではないかという点であると言い、川口課付がこれを否定したので一応は納得したものの、再度右の疑点を確かめるべく会社を訪問したいと語った。なお、この際両者の間で過去に被告会社の営業所が別会社となったことなども話題となった。

7  同月一七日 服部部長は、原告が札幌営業所が将来別会社になり営業成績が悪くなったときは解雇されるのではないかと不安であると尋ねたのに対し、既設のナカヨ電設株式会社の例を引いて別会社といっても被告会社と資本が同一系列の会社であるから大丈夫であると答え、父に翌日会社に来るように伝えてほしいと告げた。

8  同月一八日 原告の父は服部部長を会社に訪ね、原告の日頃の成績が心配であると述べたが、服部部長は会社としては原告を業務上札幌営業所に必要としており、その点は大丈夫であると答え、父に対して協力を依頼した。それを聞いて父は、本件転勤命令が原告の出世につながると考え、何とか原告を札幌へ転勤させたいという気持があるが、他方原告のいうような家庭の事情もあると語った。

9  同月一九日 徳永部長、服部部長、川口課付と原告との間で話し合いが行なわれ、途中から坂巻委員長も同席した。徳永部長らは原告に対し、転勤命令に応じなければ労働協約上の懲戒解雇事由に該当することを申し向け、坂巻委員長も原告の拒否理由を組合としても正当理由として取り上げることはできないと告げたので、原告は転勤命令に応ずる方向で考えてきたいので会社側の条件を聞かせてほしいと言ったところ、徳永部長は、営業手当が五、〇〇〇円つくこと、寒冷地手当の支給を考慮する予定であること、社宅を会社四割負担で用意することなどの条件をあげ、一週間以内に本社に出頭するようにと告げた。この日徳永部長らは原告が転勤命令に応じるものと判断していた。

10  同月二〇日 原告は徳永部長、服部部長らに対しどうしても転勤命令に応じなければならないのであれば、

(イ)  札幌へ転勤後、前橋に戻れる時期を明確にしてほしい。

(ロ)  転勤後両親を扶養できる給与を支給してほしい。

(ハ)  札幌営業所が別会社になった場合解雇等の不安があるので明らかにしてほしい。

と要求した。なおこの席には坂巻委員長も途中から出席した。原告の右の要求に対し、徳永部長らは、「(イ)については最低五、六年はかかると思うが今から明確にできない、(ロ)については冗談じゃないそんなことはできない、(ハ)については現在別会社になる予定は本社から何の指示も受けていない」と答えた。その当時、被告会社では不況のため解雇等の人員整理が行なわれており(<証拠略>により昭和四八年度と四九年度で約二五〇名減員した事実が認められる。)、又大阪、広島、熊本の三営業所は、切り離されて別会社となり、その営業所員もまた本人の同意の下ではあるが、右別会社に移籍させられていたもので、原告が以上の状況から転勤という形で前橋に帰れないまま結局は解雇されるのではないかと懸念し、右(イ)ないし(ハ)の要求をしたことには、それなりの理由があったのであるが、被告会社側は、これに対し原告が納得するような十分な回答をしなかった。なお、坂巻委員長は右(ロ)に関し、原告の要求は組合員の平等性に反するので組合としても認める訳にはいかないと語った。そこで原告がやはり本件転勤命令には応じられないと述べると、徳永部長は、原告を懲戒解雇にせざるを得ないと通告し、これに対し坂巻委員長が予告解雇など他の解雇方法を考えてほしいと要望したので、同部長は右要望を考慮の上処分を決定すると告げた。

七  懲戒解雇事由の有無

1  前記認定によると、本件転勤命令の業務上の必要性は十分認められるが、本件転勤命令が原告の生活関係に重大な影響を与えることもまた認められる。すなわち、原告の母親の病状は軽視することのできないものであり、原告ら家族の経済的能力からみて、原告には、家を遠く離れることのできない事情が存したということができる。また、右の事情と前橋工場における転勤の実態に照らすと、原告が交渉の過程で被告会社に述べた要求は切実なものであったということができる。これに対し、被告会社は、通り一遍の判断で原告の合意を得ることもなく転勤が可能であるとし、原告が転勤不能の理由を説明するのを原告のわがままとみて軽視した結果、原告に対し、転勤に応ずるための生活上の困難を克服する時間的余裕も与えず、また原告の切実な要求にも十分答えるところがなかったということができる。

本件転勤命令が、当事者間の労働契約において予定された労務指揮権の範囲内にあるとしても、転勤を命ぜられる労働者の側にも転勤の可能性について種々の事情があり、被告会社は自己の事業の必要性とともに、労働者側の事情に十分な配慮を惜しんではならないのであり、このことは就業規則一二条自体も定めるところである。被告会社が業務の都合にとらわれ、原告が最も大事に考えていた事情を顧慮しなかった本件転勤命令は、信義に従い誠実になされた労務指揮権の行使とは認められず、結局その法的効果を生じないというべきである。

2  昭和五〇年二月二二日被告会社が原告の本件転勤拒否行為は就業規則一二八条一一号に該当するとして原告を解雇する旨意思表示をしたことは当事者間に争いはない。右解雇は形式的には通常解雇の形態をとっているが、その実質は懲戒解雇と認められる。

ところで本件転勤命令が無効であることは前記のとおりであり、結局原告は本件転勤命令を拒むことができるのであるから、本件解雇がその要件を誤認した無効のものであることは明らかである。

八  被告会社は、原告が転勤できる可能性について真剣に検討せず、又不能の理由を充分説明せず正当理由を主張するのは、信義則上または禁反言の法理に照らし許されないと主張する。しかし、前記認定のとおり、前橋工場においては会社側も従業員の側も転勤については普段の用意が十分でなかったことは認められるが、本件全証拠によるも、特に原告が労働契約上の信義則または禁反言の法理に反したとの事実を認めることはできず、当事者間の交渉経過に照らすと、原告は、本件転勤命令の生活関係に及ぼす深刻な影響を父兄とも検討し、また、組合からも転勤に応ずるよう説得されていた状況の中で、被告会社に対し、具体的事実を述べて転勤不能を主張していたのであって、被告会社がこれを誠実に受け止める姿勢を有していたならば、原告の主張が単なるわがままでなかったことは容易に看取しえたものと認められる。

以上の次第で被告会社の右主張は採用できず、原告は、なお被告会社に対して雇用契約上の権利を有すると認められる。

九  賃金

(一)  請求原因5の(一)、(二)の事実は当事者間に争いがなく、計算方法については当事者間に争いがない。

(二)  原告が被告会社に対し、雇用契約上の権利を有することは前認定のとおりであるから、本件解雇後原告が被告会社から支払いを受けるべき賃金は、右の計算方法によると、次のとおりとなる。

1  昭和五〇年三月分 金七万七、六八三円

2  昭和五〇年四月分から昭和五一年三月分まで毎月 金八万六、九一七円

3  昭和五〇年夏期一時金(七月支給) 金一八万一、六二三円

4  昭和五〇年冬期一時金(一二月支給) 金二一万一、一九〇円

5  昭和五一年四月から毎月 金九万五、二六一円

6  昭和五一年夏期一時金(七月支給) 金二〇万〇、九一〇円

従って、原告が被告会社から支払いを受けるべき昭和五〇年三月分から昭和五一年七月分までの合計は金二〇九万五、四五四円となり、昭和五一年八月からは毎月二七日限り金九万五、二六一円となる。

一〇  よって、原告が被告会社に対し、雇用契約上の権利を有することの確認請求は理由があり、また賃金請求のうち、金二〇九万五、四五四円及びこれに対する訴状送達の日である昭和五一年九月六日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金並びに昭和五一年八月から毎月二七日限り一か月につき金九万五、二六一円の割合による金員の各支払いを求める限度で理由があるので、以上の請求を認容することとし、その余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条但書、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 大島崇志 裁判官 小野博道)

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